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帯広簡易裁判所 昭和32年(ろ)186号 判決

被告人 菊池昭八

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は「被告人は昭和三二年一一月二〇日午前九時五〇分頃帯広市西一条西仲通八丁目地先釧路方面公安委員会が駐車禁止区域と指定の場所に普通自動車を約三〇分間駐車した」というのであるが、被告人は陸上自衛隊帯広駐屯部隊に勤務する自衛官で自動車運転者であるところ、前記日時頃所属衛生隊の上官である成田光男の命を受けて、同部隊の入院患者飯田西喜外五名を帯広市内の厚生病院および志田病院に輸送のため外に通院係一名を乗車させて、同部隊の普通自動車(〇六―五二六一)を運転して、先づ、厚生病院に至り、患者五名と通院係が此処に下車し、次で盲腸炎患者飯田西喜を志田病院に運び、同人の病室まで寝具その他を運搬するに要した時間前記自動車を同病院前に駐車したところ、同病院附近の道路が釧路方面公安委員会の駐車禁止区域と指定した場所であつたから、本件違反として問責せられるに至つたこと、および前記駐屯部隊では医務室はあるが専門医が配慮されていないため部隊内の患者を帯広市内の医院に入院又は通院させて医療を受けていたもので、当日も車輛係である被告人が上官の命を受けて、その輸送の任を担当し、六名の患者の内飯田西喜以外の五名は新患であつたからその受診手続を要する関係上患者に附添つて来た通院係が、この患者と一緒に厚生病院に下車したため被告人は止むなく志田病院え行けば病院の人に手伝つて貰えることを予想して、通院係のいない儘盲腸切除手術のため入院する飯田西喜を志田病院に運び、飯田が盲腸炎のうえに自動車にゆられて苦しそうだつたので、同病院附近の路上が駐車禁止区域に指定されていることは承知しながらも同人を一刻も早く入院させようとして、同病院前路上に前記自動車を駐車させ同人を入院させた後も附近に誰も居らず、予想に反して助力を求めることも出来なかつたので止むなく被告人が入院に必要なマットや布団などの寝具その他を、同病院の病室側の玄関から二階の病室まで三回に往復して運び、本来なら通院係のなすべき患者の看護をなし、自動車から二階の病室まではかなりの距離があつたから、これを終つて自動車に戻らうとした頃手術が始まり、この間約三〇分、この玄関前附近路上に前記自動車を駐車したものである事実は司法巡査の犯罪事実現認報告書、証人成田光男、同飯田西喜の各証言および被告人の当公判廷における供述によつて認められる。

そしてこのような入院患者飯田の緊急状態は単に同病院に到着したことによつて失はれるものではなく、その目的である医療に現実に着手するまでは存続するものと解せられ、この間どんな病状の急変が起るかも知れず、都合よく直ちに手術に着手する場合でも、現今の盲腸切除手術は比較的短時間で終了するから、手術を終えた絶対安静の患者を収容する病室え、少くとも手術終了までには寝具の運搬などの看護を済ませて置く必要があり、これが間に合なかつた場合の医療上の蹉跌などの憂慮もあつて、かかる場合、厚生病院に残した通院係を呼び迎える暇もなく、さりとて無関係な通行人にまで委嘱するにしのびなかつた当時の差し迫つた事情が推認され、又一般の病院においては手術前の入院に要する看護等をする人員の配置もなく病院側では特に前もつて頼んで置かない限り、このような看護につき配慮はして呉れないのが通常で、午前九時五〇分頃は病院でも最も多忙な時に当るから本件の場合も斯うゆう人手を得られなかつたのはむしろ当然で、被告人の外にかかる看護をする者がいなかつた状況下において、この緊急状態を救うため止むを得ずなされた行為に因り、駐車状態継続の結果を発生させたものであつて、他面本件の場合のように病院附近道路を駐車禁止区域と指定した法意を考えて見ても、勿論その地域環境などから他の理由もあるであらうが、病院は患者その他の人の出入が頻繁であり、これ等の交通安全の見地から駐車を禁止する意味もあると解せられるところ、病院に医療を求め入院する患者を輸送するための駐車をも禁止するのは、むしろ思はざる結果と云うべきで運用に柔軟性を与えられる余地の存するものと解せられるから被告人の右所為は盲腸炎のため一刻も早く入院治療を要する状態にあつた飯田西喜のため、同人の生命、身体に対する危難を避けようとして止むを得ずなされた行為として、その程度を超えないものということができるので、刑法第三七条第一項の緊急避難に該当し違法性が阻却されるものということができる。

又仮りに本件が緊急避難に当らないとしても、被告人の勤務する自衛隊においては現在では旧軍隊のような命令服従の関係は存しないであらうが、その勤務の性質から多少一般とは違つた命令服従関係によつて規律せられていることは否定できないところであつて、被告人が上官の命令を受けて患者輸送の任を担当する以上、この上官の命令が違反を犯してもよいから遂行せよという意まで含めたものではないとしても、手術することが判つていた患者に対し他に看護する者のない場合においては単なる輸送に止まらず、本件の程度の看護をなす責任を感じていたものと認められ、しかも被告人と患者との関係は単なる入院患者と自動車運転者との関係に止まらず配置こそ違つても同部隊の同僚であつて、このような立場にあつた被告人が前述のような諸般の事情下にあつて、その緊急状態を放置するに忍びず、真に止むを得ずなされた行為と認められ、一般通常人でもこのような場合に直面すれば他の適法行為に出ることは期待し得られない事情にあつたものということができるから、社会一般の道義上非難のできない、真に止むを得なかつた行為としてその刑事責任のないものと云うことができる。

よつて被告人の所為は法律上罪とならないから刑事訴訟法第三三六条により主文のように判決する。

(裁判官 秋間徳太)

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